コラム〜『ハンドアウト』というもの
DX独自、というよりはむしろ、F.E.A.R.(ファー・イースト・アミューズメント・リサーチ)社製作のRPG独特のシステムに『ハンドアウト』というものがあります。
このハンドアウトというもの―― 平たく言えば、各PCの導入部分のシチュエーションを簡潔に纏めた設定資料のようなもので、当然、DXを使用した拙リプレイにも登場しています。しかし、一昔前のRPGにはそのような物自体ありませんでした。
これは、RPGそのものの進化と無関係ではないように思えます。
強引な論理ではありますが、『RPG=剣と魔法の中世ヨーロッパ風ファンタジー世界を冒険』という式が成り立っていたその昔には、キャラクターはほぼパーティ単位で動かなければならず、単独行動はギルドやそれに準ずる組織に所属する盗賊や魔術師や神官が情報を収集する際に組織を使う際に行う程度でした。
まぁ、最初期のRPGのシナリオはというと、極論すると『ダンジョンに潜って敵を倒し、財宝を手に入れる』という、俗に言う『ハック&スラッシュ』で充分成り立っていましたから、その程度の設定すらもなくて済みました。
とはいえ、やはり同じキャラクターを続けて使い、成長させていくことで『より一層世界観を楽しみたい』という欲求……というか、キャラクターに対しての愛着が生まれ、そこから来る世界観の拡大とGMとの掛け合いがダンジョンに潜らずとも楽しめるRPGのシナリオ……所謂『シティアドベンチャー』を生み出すことになり、『中世以外の世界でも楽しめるんじゃないのか?』という試みから、多岐に渡るジャンルが生み出されることになりました。
しかし、ジャンルが多岐に渡ってしまったことによって、現実世界で完全武装した人間が一団になってうろうろしていたら、かなりの確率で引くか通報されるかするように、パーティを組む、ということがやりにくいジャンルというものも生まれてしまいました。
とはいっても、パーティが組みにくい=個人行動が取りやすいということになるのも確かです。
だからこそ、各PCごとの行動指針となり、個人の行動や目的を明確にすることで個人行動をサポートするものとして生まれたものが『ハンドアウト』である―― すがたけはそう定義づけています。
そして、その進化し、多様化するジャンルと同様に『ハンドアウト』を生み出したであろう要因に、プレイヤーの思考の変遷というものも加わってくる、と思っています。
最近の有名なコンピューターRPGのシナリオは、大抵のものが『主人公がのっぴきならない事件に巻き込まれ、次第に世界を脅かす危機の中心に関わっていく』というものになっていますが、ごく初期のコンピューターRPGのシナリオは、極端な言い方をすると『「勇者よ、魔王を退治してくれ」「うん、いいよ」』という感じのシナリオ(というか、明確なシナリオがないものもありますが(笑))で、そこに主人公が行き着くまでの経緯や背景はすっ飛ばされていました。
最初のうちはそれだけでも済んでいましたが、人というのは欲張りなもので、ストーリーを重視したシナリオを組み込んだRPGが多々発表されていきます。最初は主人公視点での一方通行的なシナリオだけでしたが、刻を経るごとに脇のキャラクターや仇役にも巧く物語を附加していくことによってプレイヤーをストーリーにぐいぐいと引き込んでいることについては、ゲームショップの中でのRPGというジャンルのソフト数の多さからも容易に語ることが出来ます。
コンピューターRPGが発展していく中で『ストーリーが一本調子過ぎる』という否定的な意見が出てきたように、一人一人のストーリーをプレイヤー以外の人間が構築・演出し、限定するという危険があるため、プレイヤーの自由意志を制限する側面を有するハンドアウト、というものが賛否両論あるシステムになっていることは間違いありません。
しかし、突き詰めるとこうもいえます。
『結局楽しんだもの勝ち!』である、と。
実も蓋もありませんが、ハンドアウトはあくまでDXというゲームを楽しく遊ぶためのツールの一つに過ぎません。ツールである以上、プレイするプレイヤー達の肌に合わなければ、使わなければいいものでもあります。
しかし、このツールを使いこなすことによって、プレイの幅が広がること、ひいてはもっとRPGを楽しむことは間違いなく出来る―― そう信じてやみません。
出来るだけ使いこなして、プレイヤー達を楽しませることが出来れば……楽しいだろうなぁ。
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