コラム〜『バトル・エキサイティメント』〜戦闘の魅力について




 自分がGMを担当した時ではありませんが、以前、このような会話がありました。





会長:うーむ……戦闘、あっけなかったですねぇ(タイタス昇華することなく戦闘終了)。


すがたけ:確かに……2ラウンドで終わりましたし(ボスと相打ち……ただし、他のPCは生存のため、タイタス不使用で復活)。


クボケン:まぁ、このゲームの売りは戦闘ではありませんからね。





 『戦闘が売りではない』―― この言葉は半ば正しく、半ば間違っていると言えます。


 『ロイス』―― つまり、人の絆を演出するのがDX2というRPGの最大の売りである、という点は以前にも述べました。


 しかし、それを以って『戦闘が売りではない』とも言えません。このゲームでは戦闘もまた売りの両輪―― 『人の絆』と並んで、その片方を担う重要なものであることに違いはないのです。





 そこで、ここではDX2における戦闘について語りたいと思います。





 このゲームでは、戦闘における役割だけでも大まかに分けて、白兵系と射撃系とレネゲイド・コントロール(以下RC)系、そして交渉系の四つに大別できます。


 さらに詳しく分類すると、『攻撃特化型』『ディフェンス重視型』『バランス型』『変則型』『切り札型』『支援型』……と、枚挙に暇がありませんが、これらの数多い個性は、シンドロームに依るエフェクトの組み合わせから生み出されます。


 そして、そのエフェクトとそれに伴う演出効果が、ともすれば「近寄って殴る!」「魔法で眠らせる(or攻撃)!」「……狙って撃ちます」という、ただのダメージ判定合戦となりかねない戦闘、という行為を独特のものに仕立て上げているのです。


 はっきり言ってしまえば、過程段階で使用する技能によって多少の差が出ようとも、『判定に【エフェクトLV×○】個のダイスボーナスを得る』『【エフェクトLV×○】点を基準とするダメージを与える』等、結果そのものはある程度似て来るものです。


 そして、ダメージという結果にだけ注目してしまえば、戦闘というものはいくらでも平板になるものであるのです。





 CRPGでよく遭遇するAボタン(『○』でも『Enter』でも似たようなものです)連打で繰り返される作業のような戦闘が、興を削いでいる向きがあることは、詳しく述べる必要はないほど浸透しているかと思います。





 しかし、そのような『通過儀礼』としての陥穽に陥ってしまいがちな戦闘も『どのように』という部分に注目すれば、格段に楽しさは増します。


 例えば、『<白兵>のクリティカル値を下げるエフェクト』には、キュマイラの《鬼の一撃》やサラマンダーの《業炎》、エグザイルの《オールレンジ》(《オールレンジ》の場合は<射撃>のクリティカル値も下がりますが)があります。その効果は共通していますが、キュマイラのそれは規格外のパワーで無理矢理防御を引き裂く豪腕、サラマンダーのそれは熱エネルギーを変換する事で得る運動エネルギー、エグザイルの場合は巧みに四肢を操ることによって間隙を突く、といった具合に、『それ』を引き起こす経緯には大きな差があります。


 また、単純にダメージを出すだけの行動のみならず、過電流を流し込む事によって相手の操作する機械を破壊したり、離脱用のエフェクトを活用して戦闘に巻き込まれた一般人を安全圏に逃がす等、ルールブックに描かれた事以上のことを演出して行動する事も出来なくはありません(ただし、その場合はGMの許可が必要ではあります)。


 キャラクターの活躍の場をほぼ戦闘に特化させたCRPGにはなかなか出来ることではありません。





 確かに演出しなくてもゲームそのものに支障はありません。結局のところ遊びですから、演出効果を使うか使わないかは自由です。しかし、効果を演出するかどうかで、戦闘シーンの面白味は確実に違ってきます。


 遊びである以上、遊べる要素は一つでも多く盛り込んでいけば、つまらない、と思っていたものにもどこかに引っかかる『ツボ』が出来てくるというものです。


 下手な鉄砲も数打てば当たるもの―― ましてや、好みをある程度知った相手とのプレイが主となるTRPG……相手の好みを汲み取るという、多少の馴れ合いから演出するのもまた、プレイの醍醐味であり、乙なものです。










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